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出逢いってすばらしい

2010/01/20 第213号


■夢が創る

久々に逢いに来てくれた女性が、わたしに言った。
「米国から来た知人が、広島のまちに降り立って『全く元気が感じられない』って言うのよ・・」と。
駅周辺だけではない。原爆ドーム周辺の繁華街や宮島にも行ったにも関わらず、なのだそうだ。他の都市も見てきたらしいので、「日本が」ということではなく、「広島が」であることは間違いない。

その話を聞き、先日、世羅町の成人式で講演した時に語った内容を、思い出した。

何の夢も無く、勝手に自分の限界を決め「なれない」「できない」と、トライする前から諦めていた、20代の頃。
何から始めればよいかもわからず、とりあえずアンテナにひっかかるものを、やってみた。
その結果、同じ年頃の、しかも同じ子育て中の女性たちがイキイキと生きている姿と出逢い「わたしもあっちに行ける、行こう」と思え、一歩を踏み出した。
できるか、できないか、決めていたのは、自分自身だったのだ・・・。

当時の自分を思い出し、新成人たちを前に「夢を持つと人生が変わる」ということを力説。
締めの言葉に、益々力が入った。

「今、こうして、この会場に居る150人の成人みなさん、その、一人ひとりが、この場を、この空気を創っています。これが、違う150人だったらどうでしょう? また、違う雰囲気になっていたでしょう。
これを、世羅町に、広島県に、日本に広げて考えても、やはりそれは同じはず。会場に居る一人ひとりがその場を創っているように、社会を創っているのも"人"。わたしたち一人ひとりが、その場を、社会を創っている。すなわち、わたしたち一人ひとりの夢、そして行動が、未来を創っているのです」

文字にすると気恥ずかしいが、その時は伝えたい一心である。(笑)

そしてこれは、決して新成人だけではなく、我々にも言えることだと思うのだ。
広島のまちは元気が無い、と言わせているのは、誰でもない、わたしたち一人ひとり。
「あなたの夢が、未来を創る!」
成人式に選んだそのテーマを、私たち大人に、そのまま贈りたい。


【gorap語録】たまには、バカみたいな夢、見たっていいじゃんか。

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2010/02/03 第214号


■失敗上等

広島SOHO'クラブ設立当初、交流会で、変わった人に出逢った。
「ボクはバカです」と書いたA4サイズほどのダンボール紙を、首にかけ、その男性はニコニコ笑いながらわたしのほうへ・・。
「ヘンな人〜(~~;」と思いつつ挨拶すると、珠算教室の経営者だった。

以来、交流会のみならず、二次会や、わたしの講演会にもこまめに足を運んでくれるのだが、逢うたびに感じるのは、世間体を気にしない、何か浮世離れしたような、不思議な空気である。

その彼から、このたび「フリーペーパーを出すので表紙に出て欲しい」という、執筆の協力依頼があった。
タイトルは「失敗上等」。
どんな内容なのか?全体の構成は?レイアウトは?原稿量は???
詳細の説明は何もなく、ただ、タイトルだけが明確だった。
モチロン、原稿料など無い。
それでも即答でOKしたのは、ただ純粋に思いを伝えたいという目的でこのフリーペーパーを発刊すると聞いたからである。

広告枠は無い。
よって、スポンサーも無く、すべて自腹。
そんな無謀なことを、思いつき、実現してしまう。
ふだんの彼からは、想像できないようなその行動力に、少し驚きつつ、逆に「彼らしい」とも思えた。

そんな彼の行動に脱帽し、わたしもギリギリまで本音を書いた。
ふだんはSOHO向けに書くメルマガの視点とは全く変え、もしかしたら牛来らしくないと思われるかもしれない自分を出せたのは、その人の、「失敗上等」に込めた思いに応えなくては、という気持ちからだった。

A3サイズのフリーペーパーの一面に、どアップで、デカデカと掲載された顔写真は、ありのまんまの姿が包み隠さず写し出された、決してごまかしの効かないものだけれど、「まっ、いいか」と思えるのはやはり、この「失敗上等」というテーマがあるからこそ。
どんな自分も、OK!
そんなメッセージが、このフリーペーパーから見えてくる。


【gorap語録】そのまんま、で、いいんだよね。


※フリーペーパー「失敗上等」は、SO@Rビジネスポートにも
 設置しています。   http://soa-r.net/port/

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2010/02/17 第215号


■多生の縁

福山に出張の折、福塩線(ふくえんせん)に乗った。
なんと、ワンマン列車である。
無人駅が多く、乗車券は降りる時に運転手に渡すため、一番前の扉からしか降りられない。
前回、初めて乗った時は、降りようとした扉が開かないので、慌てて前の車両から走って降りたところ、そこは乗り口だったらしく、車掌さんに呼び止められて恥ずかしい思いをした。

今回は失敗しないゾ! と最初から前の車両に乗り込んだところ、ふと見ると、通路を挟んで目の前に、男子高校生が座っている。
ストレートの前髪を目の下あたりでギザギザにした、イマドキの子。
ちょっと腰をずらした座り方が、生意気な感じ・・。

と思っていると、次の駅で80才くらいのお婆さんが乗車し、彼の隣に座った。
するとなんと、その男子が、お婆さんに声をかけた!
「この間も、会いましたよね?」 (私=心の中で「え!!!?」)
お婆さんは、しげしげと彼を見ている。
「この間、○○病院で会いましたよね?」
男子が言うと、
「ああ、あん時の!」
と、お婆さんは笑顔で答えた。

「毎日、病院に行くんですか?」
「いいや、一日おきよ」
男子はずっと、敬語で話しかける。
敬語でありながら、親しみを感じさせる、優しい喋り方。
仲良く話している2人を見ていると、こちらまで、あたたかい気持ちになってくる。
お婆さんも、嬉しそうだ。 (私=心の中で反省)

袖振り合うも多生の縁。
偶然でほんのささやかな出会いかもしれないけれど、
お婆さんとの縁を一瞬のうちに繋いだ、その男子から、大切なものを教えられた。


【gorap語録】どの出逢いも、きっと、必然。

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2010/03/03 第216号


■思い出

ひな祭りには、毎年お雛様を飾り、近所の子を招いて、母の手づくりのバラ寿司で祝った幼少の頃のことを思い出す。
サラリーマンの家庭で、家族四人の社宅暮らし。贅沢をすることもなく、ふだんはどちらかというと慎ましやかな生活なのに、(当時は)お金持ちの子しかなかなか持っていないお雛様が、我が家にあった。
不思議なので、母に尋ねたことがある。

「お雛様は、たいてい、お母さんの親から孫へ贈られるものだけど、ウチはお婆ちゃんが亡くなってるので、買ってもらえない。それでもどうしても欲しかったので、自分で買った。とても高くて1万円もした(父の一か月分の給料)」とのことだった。

友だちの大きな家の広い座敷いっぱいに飾られた、七段飾りの立派なお雛様と比べると、五段飾りの小ぶりなお雛様は、友だちに見せるのが少し恥ずかしかったりした。狭い家なので、この時期になると茶の間がいっぱいになって邪魔になる。
それでも、毎年、毎年、押入れから出して、飾っては、また納める、それを繰り返したのは、やはり女の子にとって、お雛様は憧れだったから。

お雛様の冠や、三人官女の食器具をこっそり人形ごっこに使ってみたり、美しい着物姿のお雛様の優しいお顔を、何時間も見つめていたり。
そして、節句の日を過ぎると、天気の良い日を選んで慌てて納める(いつまでも出しておくと婚期が遅れると言われるから)。

出すのはわりと簡単なのだが、一つひとつ毛叩きで埃を落とし、お顔や小物を大切に紙に包んで箱に入れる、その作業は、正直、面倒くさかった。それでも毎年、そうやってみんなで節句を祝った記憶は、今、この年になっても鮮明によみがえる。

仕事に追われ、そんな思い出さえ忘れていた自分にふと気づき、余裕の無い生活ぶりを反省した。


【gorap語録】時には、昔のアルバムでも開いてみよう。

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2010/03/17 第217号


■水に流す

高校の頃、長いスカートをはいて、軽く髪を染めパーマをかけた姿が、進学校では珍しかったらしく、所謂、ツッパリと言われる女子たちに目を付けられていた。(笑)
ある日、(漫才でよくある体育館の裏のような場所に)数人に呼び出されたが、こちらも負けず嫌いは半端ではなかったので、一人で対等にやりあい、事なきを得た。(爆)

卒業を目前にしたある日、その時の相手から、またまた呼び出され、今度は何だろうと恐る恐る行ってみると、なんとそのツッパリの子が、「あの時はゴメンネ」と可愛く謝るではないか。
その素直さというか、あまりに大きなギャップに、正直、ビックリ!
過去の嫌な出来事は一瞬のうちに、さっと消え去り、水に流せた。

仕事をしていると、いろんなことがある。
少々の事は我慢したり、考えて考えて言葉を選んで伝えたりetc。
いい大人なのでたいていはうまく立ち回るが、それが時折どうしても「許せない!」 と思えるようなことに遭遇し、爆発。
そうなるとなかなか修復できないのが、大人の悲しいところ。

学生の頃のように、自分が間違っていたと思えば、素直になれるが、この年になると、なかなか自分の非を認めない、自分を正当化する、謝れないetc・・・性質が悪い。(自省)
それでも、いろんな人と付き合っていけるのは、その「人」としての部分ではなく、その人の「言動」の、その部分だけを許せないだけだから。

どんな人も人格全てが「悪」という人は、そうそう居るもんじゃない。
その人の、ここは認められないけど、でも悪い人ではないのよね。。
そんなふうに、許せない部分を互いに水に流し合うことができれば、世の中、もっと、素敵だと思う。


【gorap語録】心にひっかかっている人がいたら、今すぐ逢いに行こう。

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